2013年12月27日金曜日

下弦の月にうそぶくに、、、

おとといの夜、正確には昨日未明ということです。
事務所の帰り、ちょうど、下弦の月がのぼりはじめたころで、実に大きく、そして美しく、
ついつい、スマートフォンでパチリ、、、、

としたわけなんだが、残念ながらボケてしまった。
ズームを利用すればよかったのかなあ、とくやまれるが今更遅い。

なんで、そんな真夜中に?


そうなんです、年末になって、急きょ、大量解雇、50人。
その離職票電子申請が深更に及んでしまったということです。
夕方の5時ごろから始めたが、おおよそ一人当たり 7,8分かかるため
こんな時間になる。

そういえば、昨年も、大量離職票があった。あれは11月だったなあ。
あの時は、 「ペースター」方式で入力作業をしたが、今年は 念願のXMLファイルを
作成して それをE-GOVに読み取らせる方法をとった。

汎用性を意識して作成したので、来年からは、いくら大量解雇が発生しても困らないぞ、ははは。


でも、なんだな。
昔から、下弦の月には、男子たるもの、「嘯く」のが相場だったろうに、このオレ様、天下国家には何の関係もないようなチョー、テクニックな話題しか提供できないというのもチトさびしーのう。

嗚呼、とほほです。






 

2013年12月4日水曜日

ちょっと、思うところがあったのでご紹介。報徳記巻三

ちょっと、思うところがあったのでご紹介。

報徳記巻三のページです。

頃は、天保。
烏山は「領地民情遊惰に流れ博奕を好んで衰廃戸口減少 民甚だ窮し荒蕪の地多く貢税大いに減じ上下の艱難他に超過せり」といいうところであった。

その地に天性寺という寺があり、そこに圓應という住職がいたんだそうです。

その坊主、「頗る博学にして其の性剛邁なり、百姓の衰貧を嘆き自ら之を諭し開田に力を用ゐ或は自財を出し、他邦の流民を招き開墾せしめ許他の荒蕪を開き国の有益を挙げんとす」る、まあ 今でいえば NOPの代表みたいなことをやるなかなか感心な坊さんであったようですよ。

ところで 天保といえば、大飢饉。有名ですね。
さしもの 坊さんも 困ってしまった。

「邑民飢渇免れがたく圓應の力に由て此地の農民となるもの猶微力にして衣食に乏し、是故に飢渇尤も甚し、圓應之を救わんとすれども一寺の力何ぞ及ばん 之をして離散せしめば積労一時に廃せんと大いに之を憂い自ら思慮に能はざることを悲嘆せり」という有様。

既に 此の当時、 二宮尊徳先生の名声は各地にととどろいていたらしく、かの坊さん、
「若し此の人に就いて力を借ば必ず撫恤の道を得ん」と思ったんだそうです。


そこで、出かけました。
いよいよ、、、、クライマックスです(^^;)

「圓應独歩櫻町に至り先生に見(まみ)えんことを請ふ」(此の当時、二宮先生は櫻町というところに居た)

「先生許さず」

そして 「人をして云はしめ」ました、
「釋氏は釋氏の道あり、我が行ふ処 廃邑を興し民を安ぜんとす 何ぞ仏者に逢うて談ずる暇あらんや 速やかに去るべし」

ところが 坊さんも引かない。
「圓應自若として退かず」
(コメント。この「自若として」がこの坊さんのわかっていないところ。尊徳先生は ソコを問題にしてるんですがね)

さて、坊さん、何といって続けたか。
「我仏者なりといえども其志は民を撫するにあり、今烏山の民飢渇に迫れり之を見るに忍びず 遥かに先生の高徳を聞き来て道を求め教えを請う、先生之を許さず故郷に帰り手を束ねて民の飢渇に斃るるを見るに忍びんや、こい願わくは先生憐れみをたれよ」

これを伝え聞いた先生、怒りました。
「憤然としていわく」、です。

「先生憤然として曰く、彼僧何をかいわんや、我は我が預るところの先務あり、烏山の民の安否其の君の職分にあり我何ぞ之に与らんや。然るに此処に推参して強いて面会を請ひ我が事を妨ぐるは何ぞや」と言って会ってやらなかった。

ほなら わいは 教えてもらうまでここを離れません、逢うてくらはんなら此処で飢えて死にます。。。。なんていうもんだから 先生益々 激昂。

(そうそう、 激昂、というのは こういうとき使うのね。 ワタシハ ゲッコウ シマシタ なんては ふつう いわねーよ)

はい、 激昂した先生何と言ったか。

「先生怒りて曰、彼僧理非に拘らず面会を請い、あまつさえ陣屋の門前に餓死せんとは比類なき曲者也、よし 我逢うて之を誡め退かしめん 速やかに連れ来たれと大音に命ず」

「大音に」が、先生の怒りの度合いがでていますね。

ようやく面会がかない、じかに先生とのやりとりがはじまった。
ところが NPO法人のこの代表者、わかってないもんだから、先生最後には、「天地に響ける大音にて説示」することになります。

まあ ツボはここでしょうかね。
「・・国民の・・飢渇を救わんとするか元より汝の与るべきものにあらず、与るべからざることを以って己の任となし他邦まで来たり我に談ぜんとす あに道を失うの大なるものに非ずや・・・。」


ことここにいたって、ようやく納得。

「圓應慨然として自ら其非を悟り頭を垂れて黙然たり」
「先生曰く 汝言うことなくんば速やかに帰るべし我撫育の道に暇あらずと坐を立てり」
「圓應、先生の陰を三拝して大いに感激し其過を謝し烏山に帰れり・・・・・・・」


・・・・と この痛快さを共有したくご紹介でした。